月曜日, 5月 10

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携帯電話普及率を誇るアフリカ各国

アフリカでのビジネスチャンスと言えば、石油に代表される地下資源開発支援やインフラ整備、教育支援というのが現状行われ、一般の人も直感的に思い浮かぶところではないでしょうか。 ところがどうしてどうして、携帯電話の普及率が2013年のデータでは全人口の74%という事実、モバイルマネーに至っては2012年の統計で過去12か月以内の成人の10%以上が利用している国が全世界で20か国あるなか、15か国がアフリカの国々という驚異的なデータが公表されています。 政情不安が続く国が多く、最貧困層(一日2ドル以下で生活している人たち)削減が課題と言われる国が多いアフリカ諸国ですが、一方で携帯電話関連産業への大きなビジネスチャンスを秘めた国々とも言っていいのかもしれません。 もともと携帯電話普及にも、モバイルマネーの利用率が高いのもむしろインフラ整備が遅れているためのやむを得ない手段と言っていいのかもしれません。 ...

平和かつ民主的な国セネガル

西アフリカで随一平和かつ民主的な国セネガル(セネガル共和国)。面積19万7,161平方キロメーター、人口が1,585万人(2018年統計)、首都ダカール、主な民族は、ウォロフ族、ブル族、セレール族と言われ、使用する言語はフランス語とウォロフ語などの各民族語、宗教はキリスト教、イスラム教ほか伝統的宗教。独立してから一度としてクーデターや内戦を経験していないうえ、政権交代は選挙によるという、まさに政権の鏡とでも言えそうな政情の安定度抜群のアフリカ諸国に例を見ない国であるセネガルですが、貧困率の高いことに加えインフラの整備が遅れていることが課題として残っています。1950年~1960年代にかけて西欧の各国から独立を果たしたアフリカ諸国の多くが、経験しているクーデターや内戦による政情不安にさらされる国が多い中、同国はフランスからの独立後一度もクーデターが起こったこともないというなんとも不思議な国と言えます。 ...

南北対立がネックのチャド

宗教に絡む根深い南北対立で経済成長はおろか政情不安が続く中部アフリカの国「チャド(チャド共和国)」。面積128.4万平方キロメートルとほぼ日本の3.4倍という国土をもつ。人口1,548 万人(2018年,世銀)。首都はンジャメナで同国東部、カメルーンとの国境近くの都市です。サラ族,チャド・アラブ族,マヨ・ケビ族,カネム・ボルヌ族等が住み、フランス語とアラビア語を公用語とし、ほか部族語130以上を数える多言語国家。北部のイスラム教が52%,南部のキリスト教が44%とほぼ拮抗しており、これが南北対立の根深さを物語ります。16世紀ボルヌー王国として栄え、1910年フランス領赤道アフリカ・チャド州として、1960年フランスから独立。1962年トンバルバイ大統領就任となりましたが、南部キリスト教勢力中心の政府に北部イスラム教勢力が猛反発,南北対立の顕在化が始まってしまいました。1975年クーデター勃発で,最高軍事評議会(議長マルーム将軍)が発足。1978年マルーム将軍とハブレ反政府組織FROLINAT(チャド民族解放戦線)代表が統一政府を樹立し、マルーム大統領が就任。翌1979年統一政府が崩壊しウェディ議長の暫定国家評議会が発足。同年4月シャワ暫定国民連合政府大統領就任。11月にはウェディ暫定国民連合政府大統領就任。1980年リビアが内戦に介入するも、翌年には撤退し,OAU(アフリカ統一機構)平和維持軍派遣となりました。1982年ハブレ率いるFAN(北部軍隊)が首都を制圧,臨時国家評議会が発足。1982年ハブレ大統領が就任し、翌1983年リビア地上正規軍が反政府勢力支援のため介入。1987年OAU調停によるチャド・リビア停戦協定締結され、1990年デビー・イトゥノ元軍司令官率いる勢力が首都を制圧して,国家評議会を組織。翌1991年国民憲章が採択され、デビー・イトゥノが大統領に就任。...

タンザニアの経済の発展

タンザニアの経済面に注目してみましょう。2012年発見された沖合での天然ガス田は貢献に後押ししているかのように思われます。そんな同国の安定を示すかのような2013年の中国国家主席やアメリカ大統領訪問を受け、大いに世界からの注目度もアップした同国です。その中国のお目当てはアフリカ最大級の新港建設を国有企業が請け負うという物流ハブ港化と言われています。日本政府もそんな政情安定した同国を見逃すはずもなく、1966年より開始されている経済協力で2011年までに無償資金協力が累計約1615億円にのぼると伝えられています。その中心を支えているのが教育や安全な飲料水提供というのもユニークさをうかがわせています。民間企業でも大手電機メーカーが生産拠点を建設したり、大手化学メーカーが防虫蚊帳工場を建設する一方で大手商事会社でも天然ガスを燃料とする火力発電所建設受注に成功するなど蜜月関係が一気に高まっています。この発電所建設などは同国の電力不足を一気に解決する切り札と期待されています。 ...

アフリカ初女性大統領を生んだ国リベリア

アフリカ初の女性大統領就任で知られる西アフリカの国リベリア(リベリア共和国)。面積111,370平方キロメートル、人口482万人(2018年)、首都をモンロビアにおき、クペレ族,バサ族,グレボ族等が暮らしています。公用語は英語とされ、その他各部族語が使われています。キリスト教が8割,ほかイスラム教,その他宗教という状況です。他のアフリカ諸国と異なり、1847年7月アメリカ移民によりリベリア共和国として独立を果たし、ロバーツ大統領が初代大統領に就任。国名も英語の「自由」を意味するLibertyから命名されたといういきさつがあります。ただ、独立後の政情不安は他のアフリカ諸国と大差なく、逆に現地民族と移民のアメリカ人子孫との対立という意味では対立相手が増えただけとも受け取れそうです。2003年和平成立後の2006年誕生したのがアフリカ初と言われるサーリーフ女性大統領です。同大統領の経済政策が適正だったのか以降順調な経済成長を遂げていると言われています。日本との関わりという点では、1926年から日本の大手タイヤメーカーがアメリカのメーカーとタイアップしてゴム生産が行われ経済を支えており、また船舶に課す税金を他国より安価にしたことで日本のみならず各国の船舶会社が船籍として同国を選ぶという状況です。民族対立というアフリカ諸国が抱える課題を早々に解決したかのような現状を踏まえ2030年には中所得国入りを目指すという次なる目標に向け歩を進めているという、異色の国と言ってもいいかもしれません。 ...

宗教対立が激しい東アフリカの国々

東アフリカ北部は、7世紀頃からイスラム勢力拡大という北アフリカと同様の歴史をもち、1498年ヴァスコ・ダ・ガマ(航海士、ポルトガル人)のインド航路開拓以降ポルトガルやスペインといった西欧列強国の影響力が強まり様相を変えていきました。そんな生い立ちが影響して、東アフリカ北部はイスラム教徒とキリスト教徒ほか土着宗教が混在し多種多様な国々が目立っています。そんな宗教対立からか東アフリカは特に情勢悪化著しい国の多いことでも知られています。中でも「アフリカの角」と呼ばれる地形的な特徴から名づけられた地域が最たるもので国境なき医師団が世界報道自由度ランキングを発表していますがその最下位にランクインしているのがまさにエリトリア。さらに国境紛争の続くジブチとエチオピア。さらに先端部ソマリアに至っては1991年から2013年まで延々と続いた内戦で、ほとんど無政府状態と言われています。 ...

国内情勢安定化が望まれる国=エジプト

世界4大文明の一つ古代エジプト文明で知られた北アフリカ東部に位置するエジプト。国土の90%をサハラ砂漠という広大な乾燥地帯を抱えながら、その好位置からナイル川の芳醇な水流と地中海に面した沿岸部での温暖な気候に恵まれ、早くから文明が栄えた地として知られています。幾度となく行われた政権交代の後、2010年末チュニジアで発生した反政府デモ(ジャスミン革命)を皮切りに起こっていった「アラブの春」と称される一連の民主化運動の末、当時のムバラク大統領は退陣に追い込まれ、2012年に登場したのがムルシ大統領。ところが、この政権も経済低迷や以前制定された新憲法に反対する反政府デモが再燃し、断続的なデモが続く中2013年7月に起こったクーデターで大統領権限ははく奪されて以降、軍が主導となって最高憲法裁判所マンスール長官を大統領とする暫定政府が成立。国内ではいまだ、親ムシル派と反ムシル派の対立が続き、日常的に起こるデモなどで、むしろ「アラブの春」の頃より国内情勢は悪化していると伝えられています。このような政情不安は経済にも悪影響を及ぼし、唯一スエズ運河の通行料収入と観光産業からの収入に頼っているという最悪状況となっています。特に若者を中心とする高失業率は深刻さを増しています。そんな中でも2013年上半期若干の回復傾向となっているのが唯一の救いと言えるかもしれません。このような国内事情とはいえ、日本企業にとっては、これから伸びると期待される一大市場の玄関口として、手をこまねいている訳にはいかない、とばかりに官民一体での進出に取り組んでいます。2013年に行われたアフリカ開発会議を絶好の機会ととらえ、両国政府の良好な関係構築に動きだしています。民間企業でも、大手建設会社の進出が記憶に新しいところでしょう。ほかにも大手総合商社の活動も活発化し、一部インフラ整備にも貢献し始めた矢先の政権崩壊もあり、...

貧困と避難民対策が急務な中央アフリカ

いつの時代もクーデターによる政権交代で世情が安定しない「つけ」はその国民に向けられるという代表のような中部アフリカの国「中央アフリカ(中央アフリカ共和国)」。アフリカ大陸のまさに中央に位置し、国土は日本の約2倍弱。もともと西欧列強国進出以前は国自体存在していなかったと言われています。フランス植民地時代を経て1960年独立がクーデターによる政権交代の歴史の幕開けとなってしまいました。2013年政府と反政府勢力セレカ間で停戦が合意されたのも束の間、同年セレカの合意違反で首都バンギが占拠され、当時のボジゼ政権が崩壊,セレカ指導者のジョトディアが大統領に就任し、憲法無効化,内閣の総辞職や議会解散と矢継ぎ早に政権基盤を覆し、また元兵士たちへの賃金未払いから不満が募り、市民からの金品略奪が繰り返えされ、しまいには「国境なき医師団」襲撃にまで及び、全く収拾がつかない状態が続き、経済も低迷。もともと地下資源であるダイヤモンドや木材輸出に頼っていたものの、内陸国としての弱みと言われる輸送コスト増大が響き、これに追い打ちをかけた状態が続いています。日本政府も同国内の政情不安がきっかけで大使館が廃止となり、当然のごとく日系企業も進出を検討さえしないというまさに「日本に縁のない国」と化してしまっています。紛争が収まらないことによる貧困と100万人と言われる国内外への避難民が同国の早急な手当てが待たれる状況が続いています。 ...

日本政府主導のアフリカ国際会議

今や世界各国が進出にしのぎを削るアフリカ。その知られざる実態について、少しご紹介します。最初に、世界のアフリカへの進出状況について。まず注目するのが中国。将来の経済発展を見据え巨額の投資が行われているというのが言われています。同様にインドも資源豊富なこの地を求めて急接近していると見られています。これに関連して、日本が主導するアフリカ国際会議「TICAD(Tokyo International Conference on African Development)」。アフリカの開発をテーマにした国際会議で、国際連合、国連開発計画、アフリカ連合委員会、世界銀行の共催で、2013年までは5年ごと、それ以降は3年ごとに開催されています。首脳級、閣僚級が出席する会合もあり最近では2019年8月横浜で開催されています。次にアフリカと言えば切っても切れない話題として、人類の発祥があります。学説上「単一起源説」というものがあり、地球上の人類の起源がアフリカであるとする説です。人の祖先はアフリカで生まれ世界中に広まっていったというもので、その根拠とされるのが、最古の人類と言われている「トゥーマイ猿人」をはじめ、全ての猿人がアフリカで発見されているという事実からくるものです。次いで、経済発展している国にはどのようなところがあるか見てみましょう。産油国と言われるナイジェリアやアンゴラがまず挙げられるでしょう。これらの国では高い経済成長率を達成していると言われています。その他、ガーナやウガンダでも石油が発見され、モザンビークでは天然ガスや鉱産物の開発が進められており今後の発展が期待されています。ここで少し趣を変えて、アフリカの国旗についてお話ししましょう。どういう訳か、アフリカの国旗には、赤、黄、緑の3色が多く使われています。これは「汎アフリカ主義」を表していると言われ、植民地時代独立を保持してい...

先行き見えないコンゴ民主共和国

中部アフリカと呼ばれるエリアにあり内戦などでいまだ先の見えない国「コンゴ(コンゴ民主共和国:DRC)」。面積234.5万平方キロメートル、人口8,407万人(2018年,世銀)、首都キンシャサ、部族の数は200以上と言われ、大部分がバントゥー系。公用語はフランス語で、ほかキスワヒリ語,リンガラ語,チルバ語,キコンゴ語等が使用されています。キリスト教徒が80%と最も多く,ついでイスラム教の10%,その他伝統宗教10%と言われています。歴史的には、1950年代頃より、ジョセフ・カサブブ率いるコンゴ族同盟(ABAKO)と、パ卜リス・ルムンパのコンコ国民運動(MNC)が独立運動を開始。1960年「コンゴ共和国」としてベルギーからの独立を果たし、ABAKOのカサブブが初代大統領に就任。ところがその後、カタンガ州の分離独立を巡りコンゴ動乱勃発。1965年モブツ国軍参謀総長によるクーデターが成功し実権を掌握。以降、首都レオポルドヴィルをキンシャサに改称。また1971年には国名を「ザイール共和国」に改名するなどして、脱植民地化を推進。1997年AFDL(コンゴ・ザイール解放民主勢力連合)のローラン・カビラが大統領に就任。国名をザイール共和国から「コンゴ民主共和国」に改名。ルワンダを掌握したカビラはツチ族の権勢を恐れ、ツチ族の排除を開始。2003年暫定政権が発足されたが、国内勢力の掌握に失敗。2005年憲法草案に対する国民投票が行われ、2006年新憲法公布。2006年大統領選挙,国民議会選挙が実施され、ジョゼフ・カビラ大統領が就任。2011年大統領選挙,国民議会選挙が行われ、ジョゼフ・カビラ大統領が再選される。2018年大統領選挙,国民議会選挙,州議会議員選挙実施で翌2019年チセケディ大統領が就任し、現在に至っています。 ...