火曜日, 10月 20

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宗教対立が激しい東アフリカの国々

東アフリカ北部は、7世紀頃からイスラム勢力拡大という北アフリカと同様の歴史をもち、1498年ヴァスコ・ダ・ガマ(航海士、ポルトガル人)のインド航路開拓以降ポルトガルやスペインといった西欧列強国の影響力が強まり様相を変えていきました。そんな生い立ちが影響して、東アフリカ北部はイスラム教徒とキリスト教徒ほか土着宗教が混在し多種多様な国々が目立っています。そんな宗教対立からか東アフリカは特に情勢悪化著しい国の多いことでも知られています。中でも「アフリカの角」と呼ばれる地形的な特徴から名づけられた地域が最たるもので国境なき医師団が世界報道自由度ランキングを発表していますがその最下位にランクインしているのがまさにエリトリア。さらに国境紛争の続くジブチとエチオピア。さらに先端部ソマリアに至っては1991年から2013年まで延々と続いた内戦で、ほとんど無政府状態と言われています。 ...

国内情勢安定化が望まれる国=エジプト

世界4大文明の一つ古代エジプト文明で知られた北アフリカ東部に位置するエジプト。国土の90%をサハラ砂漠という広大な乾燥地帯を抱えながら、その好位置からナイル川の芳醇な水流と地中海に面した沿岸部での温暖な気候に恵まれ、早くから文明が栄えた地として知られています。幾度となく行われた政権交代の後、2010年末チュニジアで発生した反政府デモ(ジャスミン革命)を皮切りに起こっていった「アラブの春」と称される一連の民主化運動の末、当時のムバラク大統領は退陣に追い込まれ、2012年に登場したのがムルシ大統領。ところが、この政権も経済低迷や以前制定された新憲法に反対する反政府デモが再燃し、断続的なデモが続く中2013年7月に起こったクーデターで大統領権限ははく奪されて以降、軍が主導となって最高憲法裁判所マンスール長官を大統領とする暫定政府が成立。国内ではいまだ、親ムシル派と反ムシル派の対立が続き、日常的に起こるデモなどで、むしろ「アラブの春」の頃より国内情勢は悪化していると伝えられています。このような政情不安は経済にも悪影響を及ぼし、唯一スエズ運河の通行料収入と観光産業からの収入に頼っているという最悪状況となっています。特に若者を中心とする高失業率は深刻さを増しています。そんな中でも2013年上半期若干の回復傾向となっているのが唯一の救いと言えるかもしれません。このような国内事情とはいえ、日本企業にとっては、これから伸びると期待される一大市場の玄関口として、手をこまねいている訳にはいかない、とばかりに官民一体での進出に取り組んでいます。2013年に行われたアフリカ開発会議を絶好の機会ととらえ、両国政府の良好な関係構築に動きだしています。民間企業でも、大手建設会社の進出が記憶に新しいところでしょう。ほかにも大手総合商社の活動も活発化し、一部インフラ整備にも貢献し始めた矢先の政権崩壊もあり、...

貧困と避難民対策が急務な中央アフリカ

いつの時代もクーデターによる政権交代で世情が安定しない「つけ」はその国民に向けられるという代表のような中部アフリカの国「中央アフリカ(中央アフリカ共和国)」。アフリカ大陸のまさに中央に位置し、国土は日本の約2倍弱。もともと西欧列強国進出以前は国自体存在していなかったと言われています。フランス植民地時代を経て1960年独立がクーデターによる政権交代の歴史の幕開けとなってしまいました。2013年政府と反政府勢力セレカ間で停戦が合意されたのも束の間、同年セレカの合意違反で首都バンギが占拠され、当時のボジゼ政権が崩壊,セレカ指導者のジョトディアが大統領に就任し、憲法無効化,内閣の総辞職や議会解散と矢継ぎ早に政権基盤を覆し、また元兵士たちへの賃金未払いから不満が募り、市民からの金品略奪が繰り返えされ、しまいには「国境なき医師団」襲撃にまで及び、全く収拾がつかない状態が続き、経済も低迷。もともと地下資源であるダイヤモンドや木材輸出に頼っていたものの、内陸国としての弱みと言われる輸送コスト増大が響き、これに追い打ちをかけた状態が続いています。日本政府も同国内の政情不安がきっかけで大使館が廃止となり、当然のごとく日系企業も進出を検討さえしないというまさに「日本に縁のない国」と化してしまっています。紛争が収まらないことによる貧困と100万人と言われる国内外への避難民が同国の早急な手当てが待たれる状況が続いています。 ...

日本政府主導のアフリカ国際会議

今や世界各国が進出にしのぎを削るアフリカ。その知られざる実態について、少しご紹介します。最初に、世界のアフリカへの進出状況について。まず注目するのが中国。将来の経済発展を見据え巨額の投資が行われているというのが言われています。同様にインドも資源豊富なこの地を求めて急接近していると見られています。これに関連して、日本が主導するアフリカ国際会議「TICAD(Tokyo International Conference on African Development)」。アフリカの開発をテーマにした国際会議で、国際連合、国連開発計画、アフリカ連合委員会、世界銀行の共催で、2013年までは5年ごと、それ以降は3年ごとに開催されています。首脳級、閣僚級が出席する会合もあり最近では2019年8月横浜で開催されています。次にアフリカと言えば切っても切れない話題として、人類の発祥があります。学説上「単一起源説」というものがあり、地球上の人類の起源がアフリカであるとする説です。人の祖先はアフリカで生まれ世界中に広まっていったというもので、その根拠とされるのが、最古の人類と言われている「トゥーマイ猿人」をはじめ、全ての猿人がアフリカで発見されているという事実からくるものです。次いで、経済発展している国にはどのようなところがあるか見てみましょう。産油国と言われるナイジェリアやアンゴラがまず挙げられるでしょう。これらの国では高い経済成長率を達成していると言われています。その他、ガーナやウガンダでも石油が発見され、モザンビークでは天然ガスや鉱産物の開発が進められており今後の発展が期待されています。ここで少し趣を変えて、アフリカの国旗についてお話ししましょう。どういう訳か、アフリカの国旗には、赤、黄、緑の3色が多く使われています。これは「汎アフリカ主義」を表していると言われ、植民地時代独立を保持してい...

先行き見えないコンゴ民主共和国

中部アフリカと呼ばれるエリアにあり内戦などでいまだ先の見えない国「コンゴ(コンゴ民主共和国:DRC)」。面積234.5万平方キロメートル、人口8,407万人(2018年,世銀)、首都キンシャサ、部族の数は200以上と言われ、大部分がバントゥー系。公用語はフランス語で、ほかキスワヒリ語,リンガラ語,チルバ語,キコンゴ語等が使用されています。キリスト教徒が80%と最も多く,ついでイスラム教の10%,その他伝統宗教10%と言われています。歴史的には、1950年代頃より、ジョセフ・カサブブ率いるコンゴ族同盟(ABAKO)と、パ卜リス・ルムンパのコンコ国民運動(MNC)が独立運動を開始。1960年「コンゴ共和国」としてベルギーからの独立を果たし、ABAKOのカサブブが初代大統領に就任。ところがその後、カタンガ州の分離独立を巡りコンゴ動乱勃発。1965年モブツ国軍参謀総長によるクーデターが成功し実権を掌握。以降、首都レオポルドヴィルをキンシャサに改称。また1971年には国名を「ザイール共和国」に改名するなどして、脱植民地化を推進。1997年AFDL(コンゴ・ザイール解放民主勢力連合)のローラン・カビラが大統領に就任。国名をザイール共和国から「コンゴ民主共和国」に改名。ルワンダを掌握したカビラはツチ族の権勢を恐れ、ツチ族の排除を開始。2003年暫定政権が発足されたが、国内勢力の掌握に失敗。2005年憲法草案に対する国民投票が行われ、2006年新憲法公布。2006年大統領選挙,国民議会選挙が実施され、ジョゼフ・カビラ大統領が就任。2011年大統領選挙,国民議会選挙が行われ、ジョゼフ・カビラ大統領が再選される。2018年大統領選挙,国民議会選挙,州議会議員選挙実施で翌2019年チセケディ大統領が就任し、現在に至っています。 ...

民主化支援できない中国のジレンマ

中国のアフリカへの急接近は、今に始まったことではなく、遡ること1995年の当時国家主席江沢民の頃からと言われています。また、中国のアフリカ諸国との関係は、他先進国が行っていた関係とは少し違っているとよく言われています。どういうことかと言えば、他先進諸国の対アフリカの関係は何か人道上等の問題が発生すると援助打ち切りというような対応がされていたのに対し、中国は内政不干渉を柱とした援助が行われ、人権侵害等の問題が起こっても援助や投資には影響されないという事だったようです。通常であれば外交スタンスとして通らないようなことを行う中国に対し、逆に先進諸国からのバッシング対象にもなったと言われています。例えばスーダンのダルフィール紛争で起こった大量虐殺の首謀者と言われる同国バシール大統領への中国の支援疑惑がささやかれた際は、一時北京オリンピックへのボイコット騒ぎにまで発展したことは記憶に新しいことでしょう。このような中国の対アフリカへの急接近も常に順調だったわけではありません。それは中国という自国に起因する一党独裁体制に絡むことで、アフリカ諸国の民主化への支援後押しが積極的に行えないという痛しかゆしの事情が絡んでおり、いかにアフリカ諸国が情勢不安定であっても、民主化促進を支援できないため援助等を継続していかざるを得ないという事情も見え隠れしています。そのような事情が表面化した事件として、2007年でのエチオピア武装勢力による中国企業が支援する石油開発現場での自国労働者含む大量殺害事件や、同じようなアルジェリアの武装勢力が新疆ウルグアイ地区でのムスリム弾圧を理由とした中国への報復宣言、2011年リビアのカダフィ政権への関与を理由にした多くの中国企業への襲撃事件など枚挙にいとまのないほどです。ところがこれらの事件発生には他にも根深い原因が潜んでいたのです。 ...

旅行中の犯罪

日本で生活している私たちの観点から南アフリカの治安を考えると、残念ながら「非常に悪い」といった評価になってしまうことは否定できないでしょう。凶悪な犯罪も増えており、銃や刃物を使っての複数による犯行というのが特徴と言えるでしょう。特に大都市と呼ばれるヨハネスブルグやブレトリア、ダーバンなどの中心では増加傾向が見られていると言われています。それも、夜間だけに限らず、昼間でも発生しているという点から、観光客としてはしっかりと防犯対策をすべきと言えるでしょう。心掛けていても遭遇してしまったという場合には、できるだけ抵抗しない方が身体的に安全とされています。スポーツ観戦や観劇といった際に大都市の中心地に立ち入る場合でも、会場まで車で移動したり、目的が完了したらすぐ帰る、また、どんなに移動距離が短くても車を使うなど工夫と危険回避の行動が求められるでしょう。ツアーなどに参加している場合でも、ふとしたときに車に引きずり込まれて強盗されるといった事件もあるため、外出するさいは常に注意しておくべきと言えるでしょう。近年では空港から跡を付けられて強盗されたり、カージャックや偽のパトカーによる強盗という悪質な犯罪も発生しているようなので、安全確保に関しては資金をケチらない方が身のためということも言えるでしょう。信頼のおけるガイドなどをチェックして旅行に臨むように気をつけましょう。もし被害にあってしまった場合、負傷している場合はまず治療を優先し、その後に警察で被害届を出しましょう。この時発行される書類はパスポートの再発行や保険の補償請求の際に必要になるため、大切に保管しておくようにしましょう。所持金を全て失ってしまった場合などは、プレトリアの日本大使館やケープタウンの領事事務所に相談するということも覚えておくと良いでしょう。 ...